「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない -The Sense of Wonderについて

 

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

 

この言葉は、レイチェル・カーソンの最後の作品「センス・オブ・ワンダー」に出てくる言葉です。文章としては、多くの親が子どもの熱心で繊細な好奇心にふれる時に、自分が自然界のことについてなにも知らないことに気がつき、頭をなやませる、といったことについてのレイチェル・カーソンの考えとして書かれています。

 

地球の美しさと神秘さを感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通づる小道を見つけだすことができると信じます。

 

 

わたしが幼少期に育った場所は、今暮らし始めた糸島での環境と同じように豊かな田園風景に囲まれたところでした。毎日暗くなるまで外で遊んだあの頃の気持ちを今も懐かしく覚えています。

10代だったわたしは「空がきれいだね」と言って「きれいだね」と応えてくれる友の存在をとても嬉しく思っていました。そして今も「これ、おいしいね」と言って「おいしいね」と応えてくれる人との関わりにとても胸が踊ります。そしてわたしはその、氣持ちが通じ合う瞬間をうつくしい、と思い、そのなかにこそ、瑞々しい、生きるよろこびが宿っているように感じています。

20代で制作をしてきた美術作品では、目に見えない人の感情やエネルギーのようなものがテーマになっていました。それは生き物というかたちの現れにつながり、見えない力が形を成すことへの関心と、アニミズム信仰への興味につながりました。

哲学や東洋・西洋の古来からの宇宙観、陰陽五行や占星術などへの関心も、この世界に向けた純粋な好奇心で、わたしにとっては宇宙科学や天文学と同じように、神秘とロマンを感じさせる大好きな領域です。

 

時々、現代生活はどこか生きることのよろこびを忘れがちになっていないだろうかと思うことがあります。

わたしはきっと、目の前に開く花のうつくしさや鳥の声を感じるよろこびを、もっともっと誰かに伝えたいのだと思っています。

 

わたしが、自分自身のアート分野や暮らしのなかで表現すること、それらすべてはこの「The Sense of Wonder」への想いにつながっていると感じています。