透明水彩の絵を描いためも

ちょっと前に、ご友人おちゃづけくんとのちょっとしたコラボで、邪気払いのパーツを構成した「はらい絵」というやつをやってみたので、その絵のめも。

久しぶりに絵を描く時間を作って、透明水彩。抽象画ですなぁ。。
しかし絵はやっぱり本物がイイです(笑)
写真じゃ全然ペラーいデータになってしまいまするな。(どんなに解像度あげてもね)

今日は久しぶりにアートスペース貘で油彩画の作品を観たけど、よかった。
筆と絵の具が軽やかに踊る。描き手の感情の揺らぎも見えてくる。それが危うくてドキドキする。

友達と、美術と教育についての話をした。
市民ひとりひとりの文化レベル(文化に対する教養の深さ)を決めるのは、やはりその豊かさに触れる環境の有無やきちんとした教育なんだよなぁと感じた。そしてその、文化的教養を持つことの素晴らしさをわかる人間を育てられるかどうかは、やっぱりそれを分かっている人じゃないと無理で、そしてそういう人ってもう既にというか、日本は元からなのかもしれないけど、少ないよね〜と感じたり。

作品の良し悪しについての話じゃなくて(いやそれも大事なのかもだけど)向き合う姿勢なのだよねぇ。受胎告知の天使の指先が、恐れ多くも申し上げる、その畏怖のような、繊細さ。指先に触れるtouchの感性から広がる世界は震えているのだ。悶えるようにして開く花弁の美しさのような振動なのだ。